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  • Ayesha

パキスタンの思い出

私の父親はパキスタン人。

イスラム教だからってお祈りする姿は見たことが無いし、ただ豚肉は食べない。

自分の家族にも強要しないので、私と弟はとても自由に育った。

国の言葉である、ウルドゥー語すら教えてくれなかった。


そんな自分がパキスタン人であることが嫌だなと思ったのが、中学校の時。

その時私は、結構(60kg代後半)太っていた。眉毛も繋がりそうなくらい濃かったし、毛深かった。

そして女の子特有の仲間外れ問題でそれは起こった。無視するターゲットは私。

何か焦げ臭く無い?と言う女子達。そう、私の褐色の肌のことだ。

そこから半年間、教室には居たくなかったから昼食が終わったら昼休みはトイレで過ごした。学校は毎日行った。半年後、無事にいじめは終息した。


そんなことがあってから、ずっと普通に家庭に生まれたかったなぁと思っていた。何でパパと結婚したの!と母と良く喧嘩したのも覚えている。

小さい頃は毎年行っていたパキスタンも中学高校の時は行かなく、18歳になり大学で国際協力を専攻したのも影響し、折角だから一人で行って見ればと言われ、そこから一人で毎年行くようになった。


イスラム文化や言葉にも興味を持つようになり勉強もした。

パキスタンでは大体がお見合い結婚なので、25歳の時には3人の男性とお見合いも経験した。その頃はあまり結婚に興味がなかったので断ってしまった。あれから大分時が立ち、誰も私の結婚について聞いてくる人はいない(笑)


私の家族はカシミール人という民族で、ラホールというパキスタンで2番目に大きな都市に住んでいる。昔は道路も汚い印象だったが、最近は街全体もすごく綺麗になり、旧市街とのコントラストも楽しい。


一番感動したのは、数年前に訪れたパキスタン北部にあるフンザ王国という場所だ。あの『風の谷のナウシカ』の舞台にもなっているらしい。

ちょっと運転を誤れば、崖の底に転落するという険しい道を通れば、目の前にはヒマラヤ山脈などの山々が広がる。パキスタン人はとても適当な性格なので、私のスーツケースは飛行機に乗せられなかったという良く分からない理由で5日間荷物無しで過ごした。その頃はまだ脱毛に通っていなかったので二日もすればどこかしらの毛がボーボーになった。私も適当な性格なので、まぁいいやと思い、街で服を買った。


自然が豊かで、人も本当に温かい。食べ物も都市とは違いスパイシーでは無く優しい味で美味しい。

タリバンやら自爆やらが起こる前は、日本人の観光客もたくさん訪れていたらしい。

今は治安が落ち着き欧米からの観光客も増え、みなさんにも是非行ってみて欲しい場所の一つになった。


つらつら色々書いてしまったが、若い時は嫌だなって思ってた自分のバックグラウンドも

今はすごく好きになった。少し民族っぽいものを混ぜた音楽もやりたいし、パキスタンや隣国のアフガニスタンに貢献することもしたい。

最後に行ったのは2年前。昨年の夏には祖母が亡くなった。次回行く時は、祖母のお墓に挨拶をして、また新たな発見や繋がりを見出されたらいいなと思う。


また、このブログとともに新しくアップした写真も見て頂けたら嬉しい。


ではまた!


追記:とても多くの人に最初のブログ読んで頂けてとても嬉しいです。

ありがとうございます!














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